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優西

Author:優西
20代♂ 学生

東京の片隅で大学生奔走中。

東アジアが大好きで
そっちのほうによく旅行します

現在台湾の大学に留学中(2010.09-)
日々考えてることとか書きます!

何かありましたらコメント欄に
残していただければ幸いです。

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「一つの中国」
これは思わず笑ってしまった。



如何にも、状況を良く知らない人見れば笑い話にしか見えないんだろうね。


ただ、当事者にとってはとても大事な話。
特に台湾では、国共内戦時期をテーマに、
比較的中立的な立場から国民党と共産党の動向を捉えなおす動きが徐々に見られます。
特に1949年(国民党が台湾に撤退した年、と同時に大陸に中華人民共和国が成立した年)をテーマに、
書店に行くと、関連の書籍が多くあります。
雰囲気だけでもいいので、もし皆さん台湾に立ち寄りの際は是非本屋にふらっとよってあげてください。


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きまま | 01:07:04 | トラックバック(0) | コメント(1)
【映画】JSA
JSA安全地帯
(韓国語では、공동경비구역JSA)




1999年、共同警備区域で朝鮮人民軍の兵士が韓国軍兵士に射殺される事件が発生する。現場目撃者の南北兵士達は「拉致されて脱出した」、「相手が突如襲撃してきた」と正反対の供述を行なう。中立国監視委員会は真相を明らかにするため、韓・朝双方の同意をもとに、スイス軍の法務科将校、ソフィー・ジャン少佐に捜査を依頼する。ソフィーは関係者と面会を繰り返しながら、その真相に迫る。(wikiより)

ちなみにこのyoutubeからの転載は映画のラストの部分です。

韓国と朝鮮の間の何とも言えない独特の雰囲気が、
映画の部分部分からにじみ出るように伝わってきます。


台湾の「非情城市」しかり、この映画しかり、
どうにもこうにもならない問題を映画で取り上げるのは相当な労力がいると思います。
こういうのを見てしまうと、なんか一週間ぐらい鬱な感じになってしまうのであまり見たくはなかったのですが、まあ機会があったので見てみることに。
案の定最悪な気分になってしまいました(笑)

「こんなところに生まれてこなくてよかったわ」とかあまりにも無関心になれない。
「どうすればいいんだろう」と軽い気持ちで勝手に介入できる問題でもない。
まあせめてものこととして、自分のこれからくるであろう立場で考えることぐらいか。


それにしても日本ってこういう映画少ないよね。
韓国や台湾と違って民主化されてないから、「タブーに取り組む」という気概があまりないのかな。
むしろ日本はあまりにも平和すぎて、映画にできる題材が少ないから?
いや、そんなことはないはず。

きまま | 00:06:37 | トラックバック(2) | コメント(2)
星条旗と砂埃の中
"Until the lion has his or her own storyteller, the hunter will always have the best part of the story"?
Ewe-mina (Benin, Ghana, and Togo) Proverb

「獅子に自分の歴史学者がいない限り、獅子と狩人の戦いの伝説の中で、一切の栄光は、すべて狩人に帰すだろう。」
(アフリカの諺)

という言葉がある。

正義とは何かと考えたくなる言葉だ。
今日のニュースはこの言葉をまた思い出させることになった。

ビンラディン氏の殺害。

あまり感情移入しているわけではないが、なにか可笑しさを感じてしまった。
正しいって何だろうね。
正しい正義なんてないんじゃないかな。

いつの日か時間がたって、歴史の教科書にこの事件が載る時、
多分彼は悪の根源として、祭り上げられるんだろうな。

でもそれは、
例えば幕末期に攘夷だといってイギリス領事官を焼いた一員である伊藤博文が、総理大臣に選ばれるとか
その伊藤博文を暗殺した安重根が、民族の英雄として描かれたりとか
日本人の統治に反対して大挙した台湾の原住民が、日本政府に見せしめで処刑されるとか

そんなことと少し似ていて、
少なくとも正しい殺人がないと仮定すれば、上のすべては矛盾に満ちていると言うか…

あーあ、わけわかんなくなっちゃてきたよ(笑)

きまま | 01:09:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
なんて…
昨日小難しいことと、非常にひねくれた事を書いてしまったので、
我ながら反省。



音楽聴いて自重します。

きまま | 01:04:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
震災について―矛盾との葛藤・対話
久しぶりに更新します。

はじめに、昨日日本東北地方沖で発生した大地震の影響で、多くの方が被害にあい、
そして今も避難所で苦しむ日々が続いているかと思います。
その方達に対する適切な方法と適切な手段を通した援助と
一刻も早い事態の回復を願っております。

さて、今回起きた地震は、色々な事を考えさせる機会をくれました。
留学期間中ということで日本にいなかったために、
外からこの「事件」の一部始終を見ることができました。
それが、僕にとっては勉強になった、ということです。

震災者の方にこういうのも申し訳ない気持ちがあります。
どうせ僕は冷たい人間です。

この「事件」の中で僕は何をしていたのか。
ここからはだいぶ理屈をこくので勘弁してください(笑)

僕の好きな言葉に、
「人は立場によって生きていく。そうあるべきであり、またそうしなければならない。」
というものがあります。
この中のトートロジー的な問題は無視して、今のところ僕の立場は大学生です。

大学生というのは社会的立場から言えば、何もできない人です。
今自分が取り組んでいることを全力をかけて取り組むことで、何か直接的に援助ができるわけでもありません。
まして、募金といってお金を供給したとしても、その額は微々たるもので、
影響を及ぼせるのはゼロに等しいでしょう。
スポーツの部活動の試合に例えるならば、学生というのはすなわち、
メンバー入りすらできず、かつスタジアムにも入ることができない応援者
ということになるわけです。

だったらむしろ、今の自分の立場を生かして
この「事件」を日本人として、かつ日本人として最大限に遠い距離から傍観・考察すること
そしてそれを次に活かす事こそが
(もう一つ言えば、それを次に活かせるだけの立場に動くための努力をすること)
一番の仕事になるわけです。

ということで、タイミング的にも海外にいる自分が
この事件と、この事件にかかわる人々
(もしくは関わりたいと希望する人々)を見ていて感じた事を書きます。


一つが、募金をしてくれる方。
これについては、一人の人として、国をこえた人に対する援助の気持ちがここまであることに対して
非常に人間のあたたかさを感じました。

もうひとつが、募金に協力する日本人について
僕はこの人たちの行動とその感情に関して、「日本人」として考えざるを得ないと言う
何とも矛盾する気持ちにさいなまれています。
というのも、彼ら日本人がそういう活動に参加する際に、僕の見解だと、彼らは「外国の人が『日本人』に救いの手を差し伸べている!日本人として非常にうれしい!」
つまり、「日本人に協力してくれるから、嬉しいので、日本人として私も賛同する」というロジックで動いているからです。
また、日本の事件を報道する海外のメディアをみる日本の姿勢も、「見ろ!こんなに日本人の事を絶賛してくれている!」というふうに捉えている印象を受けざるをえません。
そして、海外にいる多くの日本人が、現在起きている「日本」の状況に際して、「日本人としてできることは何か」ということを考えた結果、「募金活動に協力する」という行動をとるわけです。

ただし、ここで注意したいのは、この一連の行動に対する外国人と日本人の考え方の差です。
彼ら(外国の人)が救いの手を差し伸べているのはあくまでも「震災者」であり、「日本人」ではありません。
この地震が仮に韓国で起きていたならば、彼らは同じような行動をとっていたでしょう。
つまり、「日本人だから」というのは理由にはあてはまらず、「日本人」というのはあくまで十分条件にすぎません。
(確かに震災者の中には多くの日本人が含まれていますが、
その中にはもちろん日本人以外の人がたくさんたくさん含まれているからです。)
そして彼ら外国人をこういう行動に突き動かす背景には、あくまでも国を超えた、人と人との関係、という前提がある上で成り立っています。

しかしながら、「日本人」を主体として前面に前に押し出して考えてしまう傾向が日本人にはあるようです。
それを震災者=日本人と必要十分条件的に解釈して、行動しているのが日本人だと思います。
なので、僕はどうしてもそういう活動に参加するのを躊躇してしまうのです。

もちろん、一人の人として、救いの手を差し伸べたいという気持ちはとてもあります。
しかし、こういう考え方をもってしまうと、どうにもこうにもありません。
人と人の関係ならいいのですが、
今の日本人には、どうしてもその「人」の前に、「日本」という接頭語をつけてしまう傾向があります。


別に今の日本人の行動を非難したいわけじゃありません。
募金をやめろと言っているわけではありません。
そして、今の状況を非難して、何か代替的な手段を考えているわけでも、
何かを主張したいわけでもありません。
思い切り自分に強いて主張を作り出すとすれば、
その「日本人」中心で考えてしまう日本人の思考の中には
逆にいえば日本人以外という「人」を「他者」としておろそかにしてしまう(時には無視してしまう)、ある種の「暴力」的考えが、まるでコインの表裏の関係のように存在している可能性に満ちているということ、
そしてそれゆえに、「日本人」にとらわれず、「人」と「人」の関係という根本的なものに重きを置いてほしい、というあたりになると思います。


こんな考えをしてしまう自分がひねくれていると感じてさえいます。
というかこんなことを書いていたら、日本人として失格だと思われてしまうかもしれません。
震災者が苦しんでいる中で、こんな事を言うとはけしからん、
なんとも外道な奴だと思われるかもしれません。
でもこれが、僕にしかできない、かつ俺ができる最大限の努力なのです。


まとめると、今回思ったのは、
「日本人」を前面に押し出して考えることの強烈さは並々ならないのと、
そしてそれを考えているのはどうやら日本だけだということ
(そういう点に関しては、日本人と台湾人の「日本人」に対する温度差を感じた)
ということです。


かといって、僕が何もしないわけでもありません。
一人の「日本人」として、日本人らしく日本人を主体で考えて、
募金活動もしますし色々できることを考えています。


ただ、今地震に際して自分ができることというのが、
そしておそらく今の自分の立場で「日本人」としてできることの最適な事として存在しているのが、
上で書いたような
「日本人」の動態
を観察するということなのであり、
そういう点ではまさしく矛盾に満ちた状態にいるわけですww



だからこそ、日常の生活をきちんとしないといけない。
学生として、学ぶべきことを学ばなければならない。

僕は日本人としてその矛盾の中に居ながら、
自分の立場を全うしたいなと思う今日この頃です。



優西

きまま | 01:47:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
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