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優西

Author:優西
20代♂ 学生

東京の片隅で大学生奔走中。

東アジアが大好きで
そっちのほうによく旅行します

現在台湾の大学に留学中(2010.09-)
日々考えてることとか書きます!

何かありましたらコメント欄に
残していただければ幸いです。

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震災について―矛盾との葛藤・対話
久しぶりに更新します。

はじめに、昨日日本東北地方沖で発生した大地震の影響で、多くの方が被害にあい、
そして今も避難所で苦しむ日々が続いているかと思います。
その方達に対する適切な方法と適切な手段を通した援助と
一刻も早い事態の回復を願っております。

さて、今回起きた地震は、色々な事を考えさせる機会をくれました。
留学期間中ということで日本にいなかったために、
外からこの「事件」の一部始終を見ることができました。
それが、僕にとっては勉強になった、ということです。

震災者の方にこういうのも申し訳ない気持ちがあります。
どうせ僕は冷たい人間です。

この「事件」の中で僕は何をしていたのか。
ここからはだいぶ理屈をこくので勘弁してください(笑)

僕の好きな言葉に、
「人は立場によって生きていく。そうあるべきであり、またそうしなければならない。」
というものがあります。
この中のトートロジー的な問題は無視して、今のところ僕の立場は大学生です。

大学生というのは社会的立場から言えば、何もできない人です。
今自分が取り組んでいることを全力をかけて取り組むことで、何か直接的に援助ができるわけでもありません。
まして、募金といってお金を供給したとしても、その額は微々たるもので、
影響を及ぼせるのはゼロに等しいでしょう。
スポーツの部活動の試合に例えるならば、学生というのはすなわち、
メンバー入りすらできず、かつスタジアムにも入ることができない応援者
ということになるわけです。

だったらむしろ、今の自分の立場を生かして
この「事件」を日本人として、かつ日本人として最大限に遠い距離から傍観・考察すること
そしてそれを次に活かす事こそが
(もう一つ言えば、それを次に活かせるだけの立場に動くための努力をすること)
一番の仕事になるわけです。

ということで、タイミング的にも海外にいる自分が
この事件と、この事件にかかわる人々
(もしくは関わりたいと希望する人々)を見ていて感じた事を書きます。


一つが、募金をしてくれる方。
これについては、一人の人として、国をこえた人に対する援助の気持ちがここまであることに対して
非常に人間のあたたかさを感じました。

もうひとつが、募金に協力する日本人について
僕はこの人たちの行動とその感情に関して、「日本人」として考えざるを得ないと言う
何とも矛盾する気持ちにさいなまれています。
というのも、彼ら日本人がそういう活動に参加する際に、僕の見解だと、彼らは「外国の人が『日本人』に救いの手を差し伸べている!日本人として非常にうれしい!」
つまり、「日本人に協力してくれるから、嬉しいので、日本人として私も賛同する」というロジックで動いているからです。
また、日本の事件を報道する海外のメディアをみる日本の姿勢も、「見ろ!こんなに日本人の事を絶賛してくれている!」というふうに捉えている印象を受けざるをえません。
そして、海外にいる多くの日本人が、現在起きている「日本」の状況に際して、「日本人としてできることは何か」ということを考えた結果、「募金活動に協力する」という行動をとるわけです。

ただし、ここで注意したいのは、この一連の行動に対する外国人と日本人の考え方の差です。
彼ら(外国の人)が救いの手を差し伸べているのはあくまでも「震災者」であり、「日本人」ではありません。
この地震が仮に韓国で起きていたならば、彼らは同じような行動をとっていたでしょう。
つまり、「日本人だから」というのは理由にはあてはまらず、「日本人」というのはあくまで十分条件にすぎません。
(確かに震災者の中には多くの日本人が含まれていますが、
その中にはもちろん日本人以外の人がたくさんたくさん含まれているからです。)
そして彼ら外国人をこういう行動に突き動かす背景には、あくまでも国を超えた、人と人との関係、という前提がある上で成り立っています。

しかしながら、「日本人」を主体として前面に前に押し出して考えてしまう傾向が日本人にはあるようです。
それを震災者=日本人と必要十分条件的に解釈して、行動しているのが日本人だと思います。
なので、僕はどうしてもそういう活動に参加するのを躊躇してしまうのです。

もちろん、一人の人として、救いの手を差し伸べたいという気持ちはとてもあります。
しかし、こういう考え方をもってしまうと、どうにもこうにもありません。
人と人の関係ならいいのですが、
今の日本人には、どうしてもその「人」の前に、「日本」という接頭語をつけてしまう傾向があります。


別に今の日本人の行動を非難したいわけじゃありません。
募金をやめろと言っているわけではありません。
そして、今の状況を非難して、何か代替的な手段を考えているわけでも、
何かを主張したいわけでもありません。
思い切り自分に強いて主張を作り出すとすれば、
その「日本人」中心で考えてしまう日本人の思考の中には
逆にいえば日本人以外という「人」を「他者」としておろそかにしてしまう(時には無視してしまう)、ある種の「暴力」的考えが、まるでコインの表裏の関係のように存在している可能性に満ちているということ、
そしてそれゆえに、「日本人」にとらわれず、「人」と「人」の関係という根本的なものに重きを置いてほしい、というあたりになると思います。


こんな考えをしてしまう自分がひねくれていると感じてさえいます。
というかこんなことを書いていたら、日本人として失格だと思われてしまうかもしれません。
震災者が苦しんでいる中で、こんな事を言うとはけしからん、
なんとも外道な奴だと思われるかもしれません。
でもこれが、僕にしかできない、かつ俺ができる最大限の努力なのです。


まとめると、今回思ったのは、
「日本人」を前面に押し出して考えることの強烈さは並々ならないのと、
そしてそれを考えているのはどうやら日本だけだということ
(そういう点に関しては、日本人と台湾人の「日本人」に対する温度差を感じた)
ということです。


かといって、僕が何もしないわけでもありません。
一人の「日本人」として、日本人らしく日本人を主体で考えて、
募金活動もしますし色々できることを考えています。


ただ、今地震に際して自分ができることというのが、
そしておそらく今の自分の立場で「日本人」としてできることの最適な事として存在しているのが、
上で書いたような
「日本人」の動態
を観察するということなのであり、
そういう点ではまさしく矛盾に満ちた状態にいるわけですww



だからこそ、日常の生活をきちんとしないといけない。
学生として、学ぶべきことを学ばなければならない。

僕は日本人としてその矛盾の中に居ながら、
自分の立場を全うしたいなと思う今日この頃です。



優西
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きまま | 01:47:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
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